Interview

青森に移住したRIDER

保坂亮馬。日本のプロダクション・ファーストチルドレンの映像作品に、かつて出演していたライダーだ。手足が長く、スタイリッシュにキッカーをメイクしていく印象的なライダーである。その彼が、10年前から本州最北の地・八甲田山をホームにして滑っている。今ではローカルとして八甲田国際スキー場で、3D地形のパークをプロデュースし、今作・八甲田-風と樹氷の山-では、彼の存在が無ければ作品は完成しなかったであろう。スノーボード以外ではRamkaという名前で活動し、Artistとして自分を表現している。彼の今まで、そしてこれからを聞きつつ、八甲田の面白さを聞いてみた。

保坂自宅の庭で

━━━亮馬君は八甲田に来る前は何処で滑ってたのですか?

  • 10代〜20代前半は、カナダを中心にマウントベーカー行ったり、
  • ファーストチルドレン(FC)の撮影もしてたから、夏と冬のマウントフッドに行ったりしてたかな。その後も日本では、FCの撮影で長野中心で動いてた。その他には北海道、岩手、新潟に滑りに行って、青森は、撮影で岩木山に来たのが初めてだったね。
1993年の保坂

1993年バンクーバー・サイプレスマウンテン。

若かりし頃の保坂

1995年グラウスマウンテンの麓

━━━八甲田に来たきっかけは?

  • 初めて八甲田に来たのは、荒木ルイに誘われて。その時、俺は膝の怪我してたんだけど、リハビリがてら滑りに来たって感じだった。そしたら山が大きくて焦ったね。

━━━それからずっと八甲田に来ているのですか?

  • それからも長野とか行ったりしてたけど、次の年も八甲田には1ヶ月くらい来てた。

━━━その頃はどんな感じで八甲田を滑ってたのですか?

  • その頃は、自分たちでカメラ回して映像をFCに渡してた。キッカー作って、ハイクして。
  • 八甲田はキッカー作れる場所が結構あるけど、ここって風の流れとか凄いじゃん。キッカー作っても霧で見えなくなったりして、『明日で良いか』ってなって、次の日来たら雪で全部埋まっちゃったりする。『こんなんじゃ、やってられねーな』ってなったね。難しいよ八甲田での撮影は。
  • それで、もっと自分の知っているフィールド増やそうと思って、天気悪くても毎日山に上がって、フリーランしながら『あそこ良さそうだな』って地形探して、どんどん視野広げていった感じだね。元々カナダで滑っていた時も、ジャンプというよりフリーライドが好きだったから、滑っているうちに気持ちがルーツに戻って来たというか、キッカー作って飛ぶのも良いけど、滑りながら飛べば良いやって思える様に、だんだんなって来てたね。それが自分の中で八甲田に対して変化が出て来たときかな。キッカーはキッカーで楽しいけど、地形を自分で探して滑る。それが楽しくなって来たね。

━━━八甲田で滑って、自分のルーツに戻ってフリーライドが楽しくなってきた?

  • そう。後、もうひとつ自分の気持ちの持ち方が変わった時があって。その頃北海道に行った時に廣田鉄平君と、鉄平君と一緒に住んでいたパッキー君。その2人が僕に、面白い場所を紹介して楽しませてくれて、俺は北海道を180%楽しませてもらって、それで青森に帰って来た時に『ああゆう案内の仕方すれば、案内する方も楽しいし、案内される方も楽しめるし、良いな』って思ってさ。2006か07年にスノースタイルの撮影があった時に、そんな案内の仕方をしてさ、『一緒に楽しみながら滑ろう』っていう案内の仕方が出来たかな。鉄平君やパッキー君のおかげでそうゆう案内というか、動きが出来たかなって思っている。人が来た時に『面白い!』って言われたら嬉しいなって。だから、来た人を絶対楽しませたいって思うようになって、今まで自分のために探してきた地形よりも、みんなで楽しみながら滑れる地形を見つけるようになっていったよね。

━━━亮馬君は八甲田で滑るようになって何年が経つのですか?

  • 10年くらい

━━━今はこちらに移住したんですよね。

  • 2010年の暮れに移住しましたね。今年で2年目。それまでは、冬から春まで6ヶ月は青森、それ以外は東京って感じだった。だいたい半年ずつ滞在。当時は青森の友達の家に、居候させてもらったりしてた。2006年位からは、自分で青森市に部屋借りて滑り始めたね。

 
━━━なんで移住しようと思ったのですか?

  • こっちに腰を据えるって言う感じではないんだけど、こっちでやりたい事があってさ。その中に八甲田でやりたい事が何個かあって、今回の様なビデオを作りたいっていうのも何年か前から頭にあったんだけど、でもそういうのって一人ではどうにも出来ないでしょ。そんな時、偶然オカケン君がビデオ作るって話があって『それ良いじゃん』ってなったし、スノーパークも作りたいって思っていて、今までイベントもやってたけど、レイルやジャンプ台があってというモノじゃないなって思っていたから、なんか違うなって思ってた。そんなんで、バブルスさんの作っている3D地形のパークの話聞いて、滑りに行ったら自分が楽しめたし、本当に楽しい物だったしね。『これだ!』って思って、そこで作り方も学んで、こっちで小規模だけどやり始めた感じ。

━━━その3D地形のパーク、常設ですよね。凄い気合い入れて作ってますね。

  • 今年僕の作ったパークは、R-lineって呼んでいて、この3D地形のパークは男女問わずいろんな世代が入れるし、実際入ってくれているし、様々な年代で楽しめるパーク。俺は、初めて八甲田に来る人や、初心者の人達をもっと上げていきたいっていうのがあって、やっぱりいきなり八甲田来ても、地形使って遊んだり、板の扱い方も、八甲田は覚えた方が楽しめると思うし、そうゆうのもあって、スノーボードの面白さをR-lineでもっと知ってもらって、そこから八甲田の山に入ってもらえたらって感じだよね。八甲田に新しい風を入れたいね。

━━━スノーボードの他にこっちでやりたい事ってあったんですか?

  • まず八甲田っていうのはもちろんあるけど、自分のモノ作り、作品作りもやって行きたい。東京は遊んで面白いし色々な情報が入ってくるけど、ちょっとゴチャゴチャしてるというか、こっちはやっぱり自然が多いし、自分と向き合える時間が作れるので得る事が多いね。青森でもいろんな事が学べるし、自分の身になってる。畑作るのも面白いよ。色々な人に話し聞いたり、考えたりして、こっちでいろんな事にチャレンジしてる。スノーボードをしている自分と、してない時の自分、両方が表現出来るというのが青森だった。それで住んでいる感じ。
アーティストしての保坂

━━━10年間八甲田で滑ってほとんどの場所は滑りましたか?

  • まだまだ滑っていない所いっぱいあるよね。晴れたら自分の行きたい所行っちゃうし、撮影になったら確実に撮影できる場所に行くし、いっぱい良いポイントあるから、キリ無いよ。俺は色々なタイミングで、色々な場所に行けたら良いって感じだから。毎年風向きとか、雪の降り方で地形も変わってくるし、毎年勉強だよ。『雪が降りすぎたらこうなるんだ』とかね。厳冬期はロープウェー周辺で面白いからね。八甲田はフィールドが広がっていくの、春からだからね。

━━━八甲田の何月が好きですか?

  • 冬って言いたい所だけど、春、4月が好きだね。コーンスノー。スピード出るし、いろんな所行けるしね。欲張れる季節というか。俺、登山あまり興味ないけど、登って滑って、登って滑って、寄り道して滑ってとか出来るしね。雪質はいつもパーフェクトじゃ無くなるけど、面白くなるよね春は。

━━━今回の撮影の事を聞きますが、大変だった事とか有りますか?

  • 大変な事あんまりなかった。逆に面白かったね。うーん。何が大変だったのかって言うと、地形探しかな。来てくれたライダーを絶対楽しませたかったし、良い映像を撮影したかったから。楽しかったけど、大変だったよね。そこは。

 

八甲田での滑り

2002年、初めての八甲田山。初滑りの1本目。Photo by kuwaphoto.com
 
━━━今後はどんな活動をして行こうと考えていますか?

  • 八甲田にいろんな人に来てもらいたいかな。若手とかもね。一緒に滑りたいし。スノーボードは、ジャンプが今はメインストリームだけど、一般の人はそんなのなかなか出来ないと思うしね。3D地形のパーク、R-lineにもいっぱい来てもらいたいし、そこからスノーボードは面白いって思ってもらえるようにしたい。そしてスノーボードを通じて、地域活性化に貢献出来る活動をしていきたいよ。スノーボード以外は個展かな。自分の作品作りに力を入れてやっていきたいね。
保坂亮磨

保坂亮馬
かつてファーストチルドレンのメンバーとして活躍。10年前からホームマウンテンを青森・八甲田山に移す。今ではローカルとして八甲田に訪れるライダー、雑誌社をアテンドする。本作でも八甲田山を色々紹介してくれる、重要人物。
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