HOLY SHIT
ライダーの気合いを見た! HOLY SHIT&BULL SHIT
ロックなライダー達
YGF3作目のHOLYSHITは、去年に引き続きアメリカのタホから始まった。2年目のタホは、リノの町に多くの雪をもたらしてくれた。ストリートレールを擦る毎日。この頃からYGFは、ストリートレールのフッテージがどんどん多くなっていった。もちろん対コンクリート・鉄になるワケで、撮影の時はピリピリすることもあり、リスキーな撮影の時には心臓がドキドキした。年々レールも長く、より危険なレールが増えていく。
しかし、その緊張感がライダーも映像の撮り手にも重要だった。緊張の無い映像はYGFには必要なかった。ライダーも、撮れた映像を念入りにチェックしていた。まさにレール中毒状態で、レールを探して擦る日々。アメリカで警察に通報され、撮影を中断することもしばしば。レールをメイクしたときは自然に叫び声があがった。
日本に帰って来てからもまだまだ撮影が続いた。大会や新潟でのストリートレール。初めて春の東北・八幡平。立山でも撮影をした。とにかくライダーが行くところには付いていき、ただがむしゃらに映像を撮り続けた。
自分の行けないところは、当時撮影を手伝ってくれたマサト(今は新潟のメインストリームを追うビデオプロダクション。HOTDOGGのメインフィルマー。)に行ってもらった。当時色々迷惑をかけたと思う。マサトありがとう。
HOLY SHIT映像編集
この年に僕は引っ越し、拠点を千葉に置いた。パンチ君の家に2,3分で行ける距離。自分のパソコンも手に入れた。当時の編集は、アフターエフェクトなど使っておらず、ライダーの名前出しなどは、フォトショップを使って1コマずつ手を加え、ライダーパートのタイトルを作っていた。編集を終えた時、HOLY SHITはTHE WAYよりも更に激しい作品になった。今みると少々暑苦しいくらいである。それくらいライダーの気合いが自分にも影響していたと思う。
このDVDの裏タイトル”BULL SHIT”は、本編が怒濤のライディング映像になったため、OFFの映像を集めて作った。HOLY SHITとBULL SHITは対のような形になった。ヨネさんがストリートレールの練習のために、滞在していた家の庭に作ったレールパーク。通称”ヨネパーク”
普段のゲレンデでの滑り”FUN RIDEING”ライダーの怪我の後を追った”リハビリ”レールのスタート台作りを撮った”HOW TOスタート台”など。
HOLY SHITの見所
この作品の見所と言えばどう考えても大信雄一だろう。前の年からラストパートを取ると宣言し、本当に有言実行してしまったライダーだ。しかしこの年、順風にノブは映像を残した訳ではない。年初めのアメリカでは、重度のムチ打ちになって首がまったく動かなくなってしまい、長期間本当に何も出来なくなった時もあった。日本に戻ってくると、池の平スキー場で、仕事であるパーク整備をしながら、暇を見つけてはYGFのビデオ撮影の日々。ほとんどアメリカで撮影できなかった事を考えると、その後、怒濤の撮影で映像を残した事は凄いとしか言いようが無い。自分が言った言葉を実行するのは、なかなか大変だ。大信雄一。
その最たる人物が出ているカット。スノーボードブランドTWELVEのポスターにもなり、HOLY SHITのラストカットにもなったダブルキンクのレッジ。このカットは、自分が撮影した映像でないのが大変残念だが、HOLY SHITを象徴する重要なカットになった。大信雄一は、とてつもない事をしてしまうライダーだ。
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