Revolver Junkies
YOUNGGUNS処女作、自分にとっても処女作
リボルバージャンキーズ!
我が思い出に残る1本
YOUNGGUNSFILM(以後、YGF)は、当時REDEYES FILMのファーストパートを獲得しまさに飛ぶ鳥も落とす勢いだった米田博亮”ヨネさん”と、同じくREDEYES FILMさらにUNKNOWNビデオにも出演していた長谷川泰士”パンチ君”の二人のプロデュース作品という形でスタートした。僕をビデオグラファーに誘ってくれたのがこの2人。ヨネさんと、パンチ君。ROCK好きの2人のプロデュースということもあって、ROCKが主体の、アメリカンスノーボード・ビデオを目指して製作し始めた。そしてビデオを回すのは僕、"Okaken"ですが、
前年までボードにハマって海外にまで滑りにいく、旅好きのスノーボーダー。ビデオを作るとは言ったものの、実はパソコンなんて、メールを送る事しか使った事が無かった。自分のパソコンも持っていないそんな僕に、ビデオを撮影し、パソコンで編集なんて出来るのか?と思っていたが、ただ面白そうと思い、軽い気持ちで参加。『どうにかなるでしょっ!』て思いで、YGFのビデオグラファー&エディターとして参加した。後のことは全く考えてなかった。
10年前の自分
初めてビデオを回したのは、アメリカの山の中だった。カメラバックを背負って、雪山を歩くのはしんどかった。滑るためじゃなく、撮影のためのハイク。まだスノーシューの存在すら知らなかった。撮影もライダーがジャンプするたびにフレームアウトしかけ、どのくらいの距離を飛んでいるのかも分からない映像だった。しかも撮影中はあまり動かないので寒い!
撮影は甘くなかった....
慣れてきた撮影
さすがに毎日ビデオを回していると、カメラに慣れてきた。撮影の手順も分かってきた。マックダグ、スタンダードフィルム、キングピン、フィンガーオンザトリガーなど、カメラワークを見るために、海外のビデオを見まくった。編集は、僕はパソコンを持ってなかったので、ヨネさんの家にあるi-macで編集する事になった。人の家に泊まり込みでの編集。ただヨネさんは嫌な顔ひとつせず、一緒に相談しながら夜中も編集が続いた。
最初は使用するソフトの使い方が分からず、使用音源がソフトに入らず、1日中試行錯誤するような日々。aiff、mp3、movにavi…全く分からない呪文のようなデータの種類を覚える事から始まった。編集する前の作業が一番大変だった。今思えばよく完成したなと思うが、周りのサポートもあってどうにか完成にこぎつけた。
ビデオの見所
このビデオの見所と言えば、今は一児の母となった日本のレディースシーンをのちに引っ張っていく事になる、天池イズミの登場だろう。初めて見た時、衝撃を受けたのを今でも覚えている。石内丸山スキー場でのカーブボックスがそれだ。彼女の負けん気はとても凄まじく、そして男子に負けないスタイルもあった。その負けん気とスタイルに魅了された、僕も一人だった。しかし、一気にスターダムに上り詰めていき、忙しくなっていく彼女を、今後撮影し、追い続けるのに苦労するとは、この時全くつゆ知らず。日本に彼女のようなレディースライダーは、なかなかいない。