REVOLVER JUNKIES 2
YGFの最高傑作、リボルバージャンキーズ2
YGF4作目のリボルバージャンキーズ2は活動範囲を変えて海外には行かなかった。問題が2つあった。ひとつは金の問題。海外に行くと3桁の万札があっと言う間に消えた。レンタカーや、宿代など、この頃からいろんなフィルムプロダクションが乱立して、売れる本数も分散化し、YGFも懐事情が厳しくなった。もうひとつの問題は、ライダーパートのスノーボードビデオが抱える問題。ビデオに収録される、ロケーションの数が問題だった。出来上がった映像を見ている時、同じ場所・同じアングルが何度も出てくると、途中に飽きる事が多い。海外での撮影は、一緒に行くのが5人位で、2ヶ月間はそこで滞在する。
5人でビデオを作るなら、海外だけで全く問題はないがYGFはライダーも多かった。日本に残ったライダーは誰かに頼まない限り、自分達の映像を撮ってもらえない。各パートのバランス、そしてロケーションの数を増やすため色々考えた上で海外での撮影を捨て、日本をメインの撮影場所にシフトさせた。ライダー同士でも映像を撮ってもらい、自分も動き回る事で、各パートの見所になる映像が撮れ、ロケーション数は今までよりもかなり増えた。
海外の素晴らしいロケーションは捨てがたかったが、この選択は間違っていなかったと思う。
リボルバージャンキーズ2、本編編集
リボルバージャンキーズ2の編集はパンチ君のアイデアにより、パートの始まりを作り込んだ。佐藤慎二、パンチ君の各パートは、スーパーカブの映像がビデオのアクセントになった。映画モーターサイクル・ダイアリーズの影響だ。その他パートの違いも明確にしていった。曲選びから、ライダーのイメージなどを考慮して、試行錯誤する。パンチ君のアイデアで、リボルバージャンキーズ2は今までとは違う、作り込まれたビデオになった。
リボルバージャンキーズ2の見所
この作品の見所と言えばコンペティションで、大信雄一がAIR MIX2位、SlopeStyle・RAIL JAMではMost Impressive Riderに選ばれた事。そしてSlopeStyle本戦で時田敬士”トッキー”は表彰台の真ん中に立った。梶浦修二君に続く、優勝は日本人で2人目の快挙である。長年滑り続けていたスキルと、自信がもたらしたものだろう。あの時、トッキーが呼ばれた時の興奮は今でも忘れない。同じビデオを作る仲間として本当にうれしかった。ライダーの技術の高さと誇り、ビデオに対するこだわりがリボルバージャンキーズ2を支えていた。
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